脱構築と公共性

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 『脱構築と公共性』
 梅木達郎 松籟社 2002


 結局、公共性の問題とは、人びとが必要や欲求充足の次元を超え、暴力や利害関係を超えて、いまなお共に生きる次元を見いだすことができるか、いかなる超越的な価値や原理も要請することなしに、なお「ただ自己の生存にのみ終始する生」をはみ出していく過剰を肯定できるか、という問いかけである。国際政治や戦争が自己利害の貫徹としてますます語られるようになっている現在、そうした政治的次元が後退しているのはほぼまちがいない。公共性がいまなお問題にされ続けなければならないのは、この後退が決定的なものかどうか、まだ明確ではないからであり、この後退を取りもどす責任がわれわれにないとは言い切れないからである。(p243-4)