ソドム

sl

『ソドム―法哲学への銘
 ルイ・サラ-モランス 月曜社 2010

…どうしてスピノザの自惚れとヘーゲルの傲慢さの間で選択する必要があるのだろうか。スピノザの反逆はヤハウェも〈御言葉〉の法も蹴散らすことはなかったし、国家とその法/権利の法的概念的な土台に亀裂を入れることもなかった。ヘーゲルは初めから終わりまで歴史を掌握し、そこから国家神学を生み出させることで、他所をも浸食するつもりでいる。その場所とはヘルメスにとり憑きヘルメスにとり憑かれたらい病人と豚とユダヤ人、すなわち自由な者たちがいる場所だ。だがたしかに選ばなければならない。スピノザかヘーゲルか、彼らの体系と全体化の能力がいかに強固なものか見積もって選択しなければならない。一者の様態のどちらか一方を継続し、彼らに共通する二つの法的挙行、すなわち絞首刑と火刑を続行するなら、そうした選択が必要だ。法と権利と国家の神学を複数的なものの名において打ち砕く人間学、感覚の堅固な基礎の上に、反抗への、そう真の反抗への至高かつ永遠なる権利を創始する人間学で満足するためには―いやそれどころか、それを自慢するためには―、どれだけヘルメスの系譜とグノーシス派とフォイエルバッハの息吹が必要なことだろう。(p276-7)