チベット潜行十年

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『チベット潜行十年』
 木村肥佐生 中公文庫 昭和57年

われわれの今の日課は、朝放牧したラクダを夕方つれて帰ることだけである。ラクダもまたすべての動物と同じく帰巣本能を持っている。内蒙古から寧夏までの途中、数回ラクダを逃がして困ったことがあった。一日の旅程を終えて荷物をおろして放牧してやると、われわれがテントを張り食事をしているあいだに一目散に故郷のほうへ帰るのである。一頭ずつ、ばらばらの行動をとることはない。私のラクダの中では年長のシャラ・アタ(黄色い雄)と呼ばれるのが先頭にたつと、若いジョジク(所かまわず草を食べたり道からそれたりする行儀の悪い奴)、ジンブグル(ヒョコヒョコ歩く奴)、セトルヒイ(手綱を結ぶ棒を通す鼻の穴が裂けている奴)、ドクシン・アタ(気が荒く、力の強い奴)などは、みな後から一列になってついてゆく。また草の悪い所へ来ると、草の良かった場所を思い出して帰ろうとする。このチャガン・オスに来てからもラクダを見失ったことが数回あった。(p83)