生駒の古道

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『生駒の古道―生駒市古道調査
 生駒民俗会古道調査委員会 生駒民俗会 平成26

 一休は晩年、薪の里(京田辺市)の酬恩庵(一休寺)を根拠地に、京都東山や摂津、和泉堺の間を頻繁に往来。自ら破戒無慙を公言、盲目の美女、森侍者をそばに置いたり、瑞子という女性との関係が噂され”女犯伝説”も多い。 旅の往還に中村を通り、傍示を抜け、津田へ杖を引いたことは十分に考えられます。大正初め、大軌(近鉄奈良線)が開通し富雄駅が設けられたあとも、高山北部の人はすでに鉄道(現在のJR片町線=学研都市線)が敷かれていた津田駅まで出る方が便利だったといわれます。それに、津田から東の尊延寺集落を抜けると、一休さんの本拠、薪の里はすぐ近くです。中村と東の精華町東畑との国境に「トンチの背」という面白い名の峠があります。一休さんゆかりの由来か、とくだんの古老に尋ねましたが、首をひねられるばかりでした。(p90)