流民の都

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 『流民の都』
 石牟礼道子 大和書房 1973


 ひとつの理念なり、思想的営為なりが、公共性を、市民権を、持つようになってくる、ということは、たぶん、よくないことにちがいない。思想とは孤立性をそのバネにするときのみ自立しうる。いっさいの表現行為は、存在そのものをひきずっている感性の抽象作業であろうけれど、このように個々人の総体自体が、分裂させられ、剥離してやまない時代に入っては、集団をあらわすものとしての公共性だの、市民権だの、市民運動だのは、幻想の水ぶくれにちがいない。市民、などという概念について考えつづけているが、これほど上っつらで、欧化近代主義の直訳概念がそのままの粗雑さで使われ続けてきて、存在そのものと遊離したまま、魂のうすい語感の代表語も少いのではあるまいか。(p440-1)