放浪文学論

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 『放浪文学論―ジャン・ジュネの余白に
 梅木達郎 東北大学出版会 1997

 ジュネにとっては、明確に敵であり、しかもそれでいながら自分の反転の運動の餌食となる存在こそ望ましいのである。こちらの思いどおりにコントロール可能な敵、これほど人を安心させるものがあろうか。しかし「ジャン・ジュネこれこれの敵を求む」という文が示すのは、まさにそうした敵がまわりには存在していないということである。ジュネはここで「敵がいない」ということを嘆いているのだ。むろんこれは一見逆説に思えるかもしれない。だが敵が、少なくとも公然の敵が、いないというのは喜ぶべき状況なのだろうか。それは平和と友愛の時代の到来であるよりも、むしろすべての輪郭がぼやけ、流れていき、善と悪、敵と友との間が判然としなくなり、暴力や敵意が外のみならず内にも向けられ、遍在し、コントロール不能になる恐るべき状況なのではないだろうか。もっとも耐え難いのは、敵が友となり友が敵となる決定不可能な世界の中でそれでも決断し、どちらかに加担しながら生きて行かねばならないことではないだろうか。(p98-9)