引用の織物

im

『引用の織物』
 宮川淳 筑摩書房 1975

ブリコラージュは分析と綜合の二重の操作によってわざわざつくり出すことを節約するのではない。逆に、ブリコラージュがちぐはぐな総体であり、全体化とは別の原理であるのは、いいかえれば《本》の観念のパロディであるのは、それがつくることの省略、つまり引用だからである。ブリコラージュをする人と対比されるのが技師であるのは偶然ではない。この対比は引用とテクネー(創造・技術)とのそれとして捉え直すことができるだろう。テクネーとは単にものをつくる技能ではない。それは―それもまた―全体化の観念である(技師の素材=シニフィアンは計画=シニフィエによって規定される)、というよりはむしろ、テクネーの観念があらわれる、あるいは意味をもつのはあくまでも全体化(シニフィエとシニフィアンの統一)の過程の一環としてなのだ。(p103-4)