ランシエール

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『ランシエール―新〈音楽の哲学〉
 市田良彦 白水社 2007


私や我々は、現在の全体が求め、定めるような人間ではない。「どこにもいない」のは、私や我々が存在可能な全体のほうだ。全体は別のようでありうる、また、あるべきである―。つまり脱自己同一化により、主体は共同体のほうを現在の明証性から切り離しているのであって、主体は共同体から与えられる自分の「現れ」を受け入れるのではなく、自分で自分に存在を与え直すことにより、同時に「共同体を共同体から切り離す」のである。この二重の操作を行うのがランシエールの考える政治であって、そこでは主体になるということと、政治的であるということが厳密に一致している。あるいは、その二つが一致するようにしか主体も政治もありえない。(p173)