懐疑を讃えて

kp

『懐疑を讃えて―節度の政治学のために
 P・バーガー/A・ザイデルフェルト 森下伸也訳 新曜社 2012

相対主義者やシニシストとおなじく、懐疑はどんな「○○主義」やその〈狂信家〉とも相容れない。すでに見たように、人間たる条件は懐疑に対する懐疑で規定されているように思われる。真理は否定も拒否もされない。それは信じられるのだ。もう一度ムージルをくり返しておこう。「真理の声には疑り深い響きがある」。じっさい反証というポパーの方法論的仕掛けは懐疑にたえる生へと敷衍できるであろう。〈狂信家〉たちは多数の「立証」―つまり疑う余地のない真理の証拠―をしめす疑う余地のない真理という(自称)堅い岩のうえに自分は存在していると考える。だが、それとは逆に懐疑家―真摯で一貫性のある懐疑がともなう生を生きる人々―は「反証」を―つまり疑いをもたらす事例や状況を―探し求める。遅々とした進化の過程のなかでひとはいつか真理の類似物―真理らしさ(versimilitude 文字どおり「真理に似た何か」)と言ってもいいであろう―に近づいてゆけるであろう、というわけだ。(p140)