
『フロベールの小説』
斎藤昌三 大修館書店 1980
いかようにも読め、多種多様な意味を読みとることはできるけれども、小説自体はわれわれの読みとった意味のいずれに対しても確かな保証を与えることはない。現実がそうだからである。現実に在る帽子を見た者はそれにさまざまな意味づけをほどこせるが、その意味はわれわれ自身によって決められるので、帽子それ自体はあたかも何かを意味するもののごとくにただそこに在るだけである。フロベールは小説のつくる世界が現実そのもののように読者の前にあらわれでることを望んだのだから(「僕は言葉によって定着された現実そのものをつくりあげることになるだろうと思う」と『ボヴァリー』執筆中のフロベールはいいきっている)、読者はフロベールの小説に対する反応の仕方によっていわば現実の世界に対する自らの反応の仕方を再現することを余儀なくされる。いいかえれば、フロベールの小説をどう読むかによって、各々の読者の経験の様式、現実認識の仕方が露わになるはずである。(p196)