餘生の文學

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『餘生の文學』
 吉田健一 新潮社 1969

 人間は言葉を使つて考へ、その考へるといふのは言葉を探すことである。併しそれだから言葉がなくては困ると決めることは許されなくて、人間とこれ程に密接に結び付いたものがもしなかつたならばと假定するのは人間にとつては生命が必要であると説くやうなものであり、言葉も、生命も、なければないで人間がゐなくなるだけのことである。それでは人間がゐなければならないという根據がどこにあるだらうか。一體に、役に立つとか、立たないとかいふのはそれ程になくてはならないのではないものに就て言ふことで、なければ一切の問題が解消するといふ種類のものを幾つか前提にして認めた上でさういふものがある為に重寶なものを我々は役に立つと考へる。例えば人間がこの地上に生きてやがて死ぬといふのを動かせない事實と見る時にその人間が生きるのを助けるから醫學は訳に立つのである。それならば文學、つまり言葉を組み合わせたものであり、又さうして組み合わせる技術である文學は我々の精神活動の大半を占める他に何かの役に立つのだらうか。(p128-9)