言葉の呪術

kf

『言葉の呪術―全エッセイⅡ
 古井由吉 作品社 1980


破局を避けるために、われわれに要求されているのは、じつは何とも索漠とした心掛け、たとえば自転車を倒れない範囲で出来るだけゆっくりとこげというようなことなのかもしれない。停めれば倒れてしまい、倒れれば惨事が起こるから、ゆっくり走りながら、車輪をひとつ添えるなり何なりして、もっと安全な乗り物に変えていく。ハンドルさばきは全力疾走の時よりむずかしく、しかも動きがゆるまると、いままで動きによって紛れていた生死の問題がどっと襲いかかってくる。じつに荒涼とした精神状況であるが、精神の明るさとは案外そんなところから生じるのかもしれない。 それにひきかえ終末ムードの芯にひそんでいるのは、断崖まで自転車をいっそ全力で走らせたいという衝動、いわば滅亡へのパトス、に似た不安の戯れである。(p253-4)