映像の招喚

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『映像の招喚―エッセ・シネマトグラフィック
 四方田犬彦 青土社 1983


映画そのものは夢を見ることはできない。夢を見るのは人間だけである。映画は夢みる主体として一人の登場人物を定立し、彼の頭脳内に生起した映像という虚構のもとにはじめて夢を提示することができる。だがこの時、映画は思っても見なかったかたちでみずからの限界に抵触することになる。これ以上は一歩も進めないという障壁にぶつかって、ベクトルは内側へと乱反射し、分散を繰り拡げる。この歪曲の偏差を見定める作業は理論の高みからはけっしてなされない。それはあくまで現実に存在するフィルムを契機として、帰納に寄らなければならないのだ。(p242-3)