思想はどうなる?

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『思想はどうなる?』
 天沼一郎 農藝社 昭和9

誰かゞ「反逆の呂律」といふ言葉を使つたが之を他の言葉に直すと思想の歴史となると見る。思想は常に支配される側から起つて發達したのは右の事情を物語るものだ。日本のみとは限らぬ世界のあらゆる思想は被支配者の呂律として體系づけられたものだ。そこで日本で云へば右翼の思想でも左翼のそれでも常に支配階級に對する對立を豫想するものが一般であるが、先年某會社の社長が「日本のフアツシズムなんて何が出來る」と僕にたんかを切つたものだつたが、間もなく五・一五事件が勃發したのでスツカリ伸ばした首を引つ込めて鋼鐵チヨツキに身を固めたではないか、又屡々極左の共産主義運動が根絶したと言ひ乍ら次々の検擧を必要としてゐるではないか。何れにせよ國内に種々の思想運動が勃發しそして國民の上にある程度の影響を及ぼしつゝあるのだから我々國民として之を看過する譯には行かぬ。常識として、思想の態様を諒解しておいて国民的判斷を妥當にしてかゝる必要があらう。(p3-4)