哲学を享受する

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『哲学を享受する―東洋大学哲学講座4
 東洋大学哲学科編 知泉書館 2006

 スピノザが『エチカ』第五部後半においてなしているのは、神の無限知性の立場に立ち、その立場から個物の本質の観念を解明したり、その認識が人間精神にとっていかにして可能であるかを解き明かすことではない。そのような無限知性の位置に立ち得ない様態としての人間精神が、様態としてありつつも個物の本質の観念やその認識様式を解明しているに過ぎない。だから、個物の本質の観念であれ、その認識様式であれ、様態という結果としての人間精神の側から理解される以外にない。それはいかにして可能か。論証を通して、というのが定理23の備考の差し当たりの解答であった。一連の論証を通して、身体の本質の観念が神の内にあること、そして、それが精神の本質に属することも理解される。しかしながら、それは論証においては、まずは「何かあるもの」としか語り得ないものなのである。(p197)