如是閑文藝選集3

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『如是閑文藝選集3―小説Ⅲ
 長谷川如是閑 岩波書店 1991

モ一つ私は、事実が、世の中の確実を独占してゐるやうな顔をしてゐるのに、私は反感を持つ。私は、嘘の方が、事実よりも確実なことを示す為めに、嘘を信じて居たい。実際多くの場合に、私の嘘は、誰れの事実よりも確かだ。然し私は嘘が事実と同じやうな確かさを誇る時には、もう嘘を信じたくない。私はその「確かさ」の頑固な堅苦しい姿を虫が好かない。嘘でもそんな頑固な、堅苦しい姿になつた嘘は私は嫌ひだ。けれども、さういふ風に事実を嫌つて嘘を好んでゐるのは私ばかりではない。大抵の人は、私と同じやうに、嘘の方を事実よりも好いてゐる。それだのに、彼等は自分は事実でなければ信じないなどゝいつてゐる。それが即ち嘘ではないか。実際「事実」位多くの人に嫌はれてゐるものはない。「嘘」位多くの人に好かれてゐるものはない。好きなものを信じないで、嫌ひなものを信じるなんて、それは嘘に定まつてゐる。して見ると、事実を信じて嘘を信じないと人の云ふのを、私は咎めてはいけないか知ら。それが嘘なら、私はそれを好む筈だ。(p19-20)