道徳の逆説

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『道徳の逆説』
 V.ジャンケレヴィッチ 仲沢紀雄訳 みすず書房 1986

善とは、人がこれに諾と応えるものだ。そして、否と応えるなら、それは自称善が偽装された悪だからだ。逆説論法がこの両極を逆転させるのは自由だが、ただこれのみが重要な極の位置を変えるだけ、両極の正員号と名が逆転されるだけだ。逆拙論は非意味を主張していると信じているが、この非意味はなおも一つの意味を持っており、弁舌の横柄さがこれに非道な容貌を与えている。自己同一の原理は、だれもこれに虚偽を語らせることはできない。そして、同様に、道徳はわれわれに拒否と献身の力とを与える。だが、道徳は、それ自体拒否されたり、真率に否認されたり、ましてや反駁されるためにできているのではない。人が斥けるもの、それは偽善で清教徒流厳格さのいつわりの道徳、つまり、かたりであって、人はそれよりはもう一つの道徳とほかの《価値》、本能、生の奔り、そして自然性の価値の方を好む。この道徳にも狂信も厳格主義も欠けてはいないのだ。(p33)