転形期としての現代

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『転形期としての現代』
 生松敬三 人文書院 1983

「ことごとく書を信ずれば、すなわち書なきにしかず」とは『孟子』の一句だが、孟子自身は『書経』のことを言ったにしても、この「書」は書物一般に押し及ぼして考えられてよいだろう。けだし名言である。ところで、明治・大正・昭和三代を自由なジャーナリストとして生きた長谷川如是閑は、この『孟子』の一句を言いかえて、「ことごとく書を信ぜざれば、すなわち書あるにしかず」とした。孟子がネガティヴな形で書物への盲信を戒めたのに対し、如是閑はポジティヴに書物の有用を説く言葉に一転せしめたわけだが、この言いかえは面白いし、意味深長である。如是閑はまた、「断じて行えば、鬼神もこれを避く」という有名な一句を、「断じて行わざるも、また勇なり」と言いかえて、この「断じて行わず」を終生みずからのモットーとしたという。こうした言いかえによる逆転をなしうるには、その事柄についての自由にして冷静な態度が不可欠であるし、さらにその手づくりのモットーを生涯貫くには、それこそ大勇を必要とする。ただ面白いというだけの話ではすまないことである。(p187-8)