目の中の劇場

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『目の中の劇場』
 高山宏 青土社 1985

 一人一人の人間がその個人的条件の生みだすそれぞれのモノキュラー・パースペクティヴを介して事物を認識するほかはない以上、二人の人間の間にア・プリオリに存在すると言いうる事象など何もない。絶対的なものなど何もないのだ。ニーチェのパラドックス、そして道化そして綱渡りへの趣味は、この相対論的なニヒリズムに起源をもつといわれる。百人の人がいれば百個の世界〈像〉、世界についての或る解釈を介しての映像があるばかりで、謎めいた「世界そのもの」などどこにも存在しないのだ、という風にこれを言い換えれば、これは後期ハイデッガー(1889-1976)の語彙となる。即ち、ついに来た「世界像の時代」の証人で、ジェイムズのテクストはありうるのである。(p257)