主体の論理・概念の倫理

su

『主体の論理・概念の倫理
 ―二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義
 上野修・米虫正巳・近藤和敬編 以文社 2017

「父の名」が除名されているのに、なぜかスピノザはシュレーバーのように狂気には陥らない。『エチカ』が狂人の言説だとはだれも思わない。ならば「発狂しない精神病」とは何なのか。〔…〕こう言ってよければ、あの幾何学的証明で書かれた『エチカ』はサントーム、症候としてのスピノザである。『エチカ』は、神は自己原因であり、その外に何もない絶対的実体であると証明によって語る。スピノザの自己原因とは、真理についての真理はない、大文字の他者にとっての他者はない、ということの別な言い方にほかならない。われわれはそうした他者の真理の一部、身体の真理として現実界に実在する。スピノザは欠如なきシニフィアンの普遍性に還元された神の領域、すなわちもはや彼のものとも神のものともつかない知性が、みずから幾何学的様式で語るのを聞く。そこでは真理が、証明によって勝手に語るのである。(p232-4)