グノーシス 異端と近代

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『グノーシス 異端と近代』
 大貫隆・島薗進・高橋義人・村上陽一郎編 岩波書店 2001

 フェーゲリンとトーピッチュの論争からもうかがえるように、われわれは一方ではグノーシス主義をあまりに拡大解釈しすぎないよう、慎重でありつづけなければならない。しかし他方では、グノーシス主義は地下に潜行してしまったため、自分はグノーシス主義者であると確信していたり、あるいはグノーシス主義に対して共感を抱いていたりしながら、それをあえて口にしない人もいれば、自分でも知らないうちにグノーシス主義に感化されている人もかなりいることを忘れてはならない。一九世紀にグノーシス主義は、一部の人たちを覗いて一般にはあまりよく知られていず、ドストエフスキーやヴァーグナーのように、無自覚的にグノーシスの影響を受ける人が少なくなかった。そのため一九世紀のグノーシス主義には、人によってかなりの温度差があり、いわば「濃いグノーシス主義者」と「薄いグノーシス主義者」がいたのである。(p2-3)