エイゼンシュテイン全集7

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 『エイゼンシュテイン全集7―モンタージュ
 第2部 映画―芸術と科学 キネマ旬報社 1981

 映画のなかでモンタージュが「すべて」と高くうたわれた時期があった。今はモンタージュが「何ものでもない」とみなされている終末期の時期である。私たちはそのどちらにもくみしない。そしてモンタージュも、その他すべての映画を構成する要素と同じく、映画に不可欠の構成分子と考えている。「モンタージュ支持」の嵐と「反モンタージュ」の襲撃が終わったところで、私たちは再び率直にこの問題に立ちかえなければならない。それが必要なのは、モンタージュ「否定」の時代には、モンタージュの決して非難されるいわれのない、最も確固とした一面さえ破壊されたからである。そして最近の一連の映画人たちは、モンタージュをすっかり「清算」し、その基本的な目的と役割さえも忘れてしまっているからだ。モンタージュは、すべての芸術作品が自分に課する認識論的な役割から引きはなせないものであり、テーマ、筋、動き、行為、そして映画劇全体とテーマ内部の動き、映画の挿話内部の動きなどを、首尾一貫して表現する課題である。(p256)