インド論理学

iu

『インド論理学』
 宇野惇 法蔵館 1996

 論理学は広義に理解すれば、認識の意味内容(構想)を問う「内容論理学」もしくは「認識論」と、純粋に思考の形式を扱う「形式論理学」とに二分されよう。インドの場合、認識の起源や真偽を問う点で認識論を含み、一方、概念、判断、推論などの意味を問う点で形式論理学をも指すが、同時に心理学的な色彩も濃厚である。したがって、単に推論などを中心とする狭義の「形式論理学」のみに限定されるのを避けるために、インド学者の間には「インド論理学ならびに認識論」のような迂遠な表現をとる人もあるほどである。しかし、インドの場合にはおおまかではあるが、梵語表現の「プラマーナの学」の指示する内容がそれに該当すると見て大過ないであろう。すなわち、プラマーナは主観の性能としての真知であり、認識手段であり、認識作用であり、また得られた意識内容(構想)をも指す。これらの概念を追求する学として、「インド論理学」の名称を本書では使用している。(p2-3)