〈ポスト68年〉と私たち

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 『〈ポスト68年〉と私たち―「現代思想と政治」の現在
 市田良彦・王寺賢太編 平凡社 2017


 一パーセントに仲間入りして好きなことをしよう、「主体」である呪縛から解放されよう、これが現代のリベラリズムではないのか。七〇年代との違いとしては、アルチュセールやフーコーの目には異例の少数者についてだけ問題にされるように見えた特殊な主体性、つまり「主体ではない」という人間のあり方が、監獄や病院から、あらゆる「閉じ込め」の「appareil」からそとに溢れ出て、むしろ主流になっているところに認められるように思います。そして、そこから振り返ったときには、彼らも実は異例の少数者の話をしていたのではない、と私には思えるわけです。(p186-7)