文学が文学でなくなる時

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 『文学が文学でなくなる時』
 吉田健一 集英社 昭47

 何もなくなれば人間は我に返る。これは必ずしもそれまで我を忘れてゐたといふのでも、又それまで續けてゐた活動が嘘になるといふことでもなくて改めてその我、或は人間である自分に氣付くことであり、それをせずに活動してゐた間に生じた觀念の混雜がこれによつて一掃されることになる。何もなくなるといふのは生命もなくなり掛けるといふこと、或は生きてゐるだけの状態に戻されることであつて、そのときに人間は單に自意識の對象である自分とか分析すれば際限なくいろいろなものが取り出せてそのどれが正體であるとも決め兼ねる自分とかでなしに多くの人間の一人であり、その一人で多くを代表するのにこと缺かない人間である自分といふものをいや應なしに認めさせられる。このことを改めて納得するには戰爭中に我々が一度でも死に掛けた時のことを思ひ出せば足りる筈である。そこには命拾ひをしたなどといふ吝臭い感想よりももつと何か靜かなものに滿ちたものがあつた。(p151)