精神病院と社会のはざまで

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『精神病院と社会のはざまで
 ―分析的実践と社会的実践の交差路
 フェリックス・ガタリ 杉村昌昭訳 水声社 2012

 当時流行していた言葉のひとつに、「集列性」という言葉があります。これをジャン=ポール・サルトルは、「実践的惰性態」としての集団の機能に従属する生活スタイルの空疎な反復的性格、と定義しています。われわれが多様な活動システム、とりわけ自分自身と他者に対する責任の自覚化を通して目指していたのは、このような「集列性」からの脱却であり、個人や集団がテクノクラート的な展望ではなく倫理的な展望のなかで、おのれの存在の意味を獲得し直していくようにすることでした。それは、集団的な責任の自覚をうながすとともに、他方で労働との関係の再特異化―もっと一般的に言うなら、ひとりひとりの個人的存在の再特異化―に依拠した活動様式を真正面から遂行するということです。われわれが設置した制度論的機械は、実存的主観性の再造形を行なうだけで満足するのではなくて、新しいタイプの主観性を生産しようとしていたのです。(p98)