人間という症候

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『人間という症候―フロイト/ラカンの論理と倫理
 藤田博史 青土社 1993


わたしたちは、シニフィアンという他者を、あたかも失われた主体そのもののように取り扱うことによってしか生き延びてゆけないような構造的メランコリーのなかに巻き込まれている。 しかし、むしろだからこそわたしたちの生には一縷の望みがある、といわなければならないのかも知れない。なぜなら、わたしたちの生においては、存在そのものに到達する「必要」は、すでに初めからしかも永遠に失われているからである。むしろ「補填」としての人間が生きてゆくことの醍醐味は、自らがシニフィアンによって構造化された虚構であることを承知した上で、その当の虚構性のなかを逞しく生き抜いてゆくことのなかに見いだされるのではあるまいか。(p312)