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	<title>古本買取　奈良 駱駝堂 &#187; 文学</title>
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		<title>放浪文学論</title>
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		<pubDate>Thu, 21 Dec 2017 05:03:14 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ 『放浪文学論―ジャン・ジュネの余白に』　梅木達郎　東北大学出版会　1997 ジュネにとっては、明確に敵であり、しかもそれでいながら自分の反転の運動の餌食となる存在こそ望ましいのである。こちらの思いどおりにコントロール可 &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e6%94%be%e6%b5%aa%e6%96%87%e5%ad%a6%e8%ab%96">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2263" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/12/hu.jpg" alt="hu" width="205" height="300" /></div>
<p> 『放浪文学論<span style="font-size: 10pt;">―ジャン・ジュネの余白に</span>』<br /><span style="font-size: 10pt;">　梅木達郎　東北大学出版会　1997</span><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;"> ジュネにとっては、明確に敵であり、しかもそれでいながら自分の反転の運動の餌食となる存在こそ望ましいのである。こちらの思いどおりにコントロール可能な敵、これほど人を安心させるものがあろうか。しかし「ジャン・ジュネこれこれの敵を求む」という文が示すのは、まさにそうした敵がまわりには存在していないということである。ジュネはここで「敵がいない」ということを嘆いているのだ。むろんこれは一見逆説に思えるかもしれない。だが敵が、少なくとも公然の敵が、いないというのは喜ぶべき状況なのだろうか。それは平和と友愛の時代の到来であるよりも、むしろすべての輪郭がぼやけ、流れていき、善と悪、敵と友との間が判然としなくなり、暴力や敵意が外のみならず内にも向けられ、遍在し、コントロール不能になる恐るべき状況なのではないだろうか。もっとも耐え難いのは、敵が友となり友が敵となる決定不可能な世界の中でそれでも決断し、どちらかに加担しながら生きて行かねばならないことではないだろうか。(p98-9)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>ポータブル文学小史</title>
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		<pubDate>Thu, 14 Sep 2017 05:55:58 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ 『ポータブル文学小史』　エンリーケ・ビラ=マタス　木村榮一訳　平凡社　2011　ヴァルター・ベンヤミンもマルセル・デュシャンとよく似た精神の持主だった。二人はともに放浪者であり、いつも旅をしていたし、芸術の世界から放逐 &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%83%96%e3%83%ab%e6%96%87%e5%ad%a6%e5%b0%8f%e5%8f%b2">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2208" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/09/pe.jpg" alt="pe" width="210" height="300" /></div>
<p> 『ポータブル文学小史』<br /><span style="font-size: 10pt;">　エンリーケ・ビラ=マタス　木村榮一訳　平凡社　2011</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">　ヴァルター・ベンヤミンもマルセル・デュシャンとよく似た精神の持主だった。二人はともに放浪者であり、いつも旅をしていたし、芸術の世界から放逐されていて、しかもさまざまな物(つまり情熱のことなのだが)、それをいっぱいため込んだコレクターでもあった。二人はまた、ミニチュア化するということはポータブルなものにするということであり、放浪者、もしくは亡命者にとってそうすることが物を所有する理想的な形態であることを知っていた。しかし、ミニチュア化するということは隠すことでもある。たとえば、デュシャンは極端に小さい物、つまりエンブレムや手稿、アナグラムといった解読する必要のある物につねに惹かれていた。彼にとってミニチュア化するというのは役に立たないものに変えるということを意味していた。(p14)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>文学が文学でなくなる時</title>
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		<pubDate>Sat, 29 Apr 2017 23:30:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[rakudado]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[ 『文学が文学でなくなる時』　吉田健一　集英社　昭47 何もなくなれば人間は我に返る。これは必ずしもそれまで我を忘れてゐたといふのでも、又それまで續けてゐた活動が嘘になるといふことでもなくて改めてその我、或は人間である自 &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%81%8c%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%81%a7%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8b%e6%99%82">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2144" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/04/by.jpg" alt="by" width="208" height="300" /></div>
<p> 『文学が文学でなくなる時』<br /><span style="font-size: 10pt;">　吉田健一　集英社　昭47</span><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;"> 何もなくなれば人間は我に返る。これは必ずしもそれまで我を忘れてゐたといふのでも、又それまで續けてゐた活動が嘘になるといふことでもなくて改めてその我、或は人間である自分に氣付くことであり、それをせずに活動してゐた間に生じた觀念の混雜がこれによつて一掃されることになる。何もなくなるといふのは生命もなくなり掛けるといふこと、或は生きてゐるだけの状態に戻されることであつて、そのときに人間は單に自意識の對象である自分とか分析すれば際限なくいろいろなものが取り出せてそのどれが正體であるとも決め兼ねる自分とかでなしに多くの人間の一人であり、その一人で多くを代表するのにこと缺かない人間である自分といふものをいや應なしに認めさせられる。このことを改めて納得するには戰爭中に我々が一度でも死に掛けた時のことを思ひ出せば足りる筈である。そこには命拾ひをしたなどといふ吝臭い感想よりももつと何か靜かなものに滿ちたものがあつた。(p151)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>餘生の文學</title>
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		<pubDate>Fri, 17 Feb 2017 02:26:38 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[『餘生の文學』　吉田健一　新潮社　1969 人間は言葉を使つて考へ、その考へるといふのは言葉を探すことである。併しそれだから言葉がなくては困ると決めることは許されなくて、人間とこれ程に密接に結び付いたものがもしなかつたな &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e9%a4%98%e7%94%9f%e3%81%ae%e6%96%87%e5%ad%b8">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2113" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/02/yy.jpg" alt="yy" width="205" height="300" /></div>
<p>『餘生の文學』<br /><span style="font-size: 10pt;">　吉田健一　新潮社　1969</span><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;"> 人間は言葉を使つて考へ、その考へるといふのは言葉を探すことである。併しそれだから言葉がなくては困ると決めることは許されなくて、人間とこれ程に密接に結び付いたものがもしなかつたならばと假定するのは人間にとつては生命が必要であると説くやうなものであり、言葉も、生命も、なければないで人間がゐなくなるだけのことである。それでは人間がゐなければならないという根據がどこにあるだらうか。一體に、役に立つとか、立たないとかいふのはそれ程になくてはならないのではないものに就て言ふことで、なければ一切の問題が解消するといふ種類のものを幾つか前提にして認めた上でさういふものがある為に重寶なものを我々は役に立つと考へる。例えば人間がこの地上に生きてやがて死ぬといふのを動かせない事實と見る時にその人間が生きるのを助けるから醫學は訳に立つのである。それならば文學、つまり言葉を組み合わせたものであり、又さうして組み合わせる技術である文學は我々の精神活動の大半を占める他に何かの役に立つのだらうか。(p128-9)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>ヒコーキ野郎たち</title>
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		<pubDate>Wed, 18 Jan 2017 01:13:34 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[『ヒコーキ野郎たち』　稲垣足穂　新潮社　1969　度々のエッセーで述べてきたように、われわれには、外部的にも内部的にも、「我が身をどうかされたい」という、訴え所のない本来的なマゾヒズムがある。この願望が裏返されて、威丈高 &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e3%83%92%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%82%ad%e9%87%8e%e9%83%8e%e3%81%9f%e3%81%a1">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2012" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/01/hi.jpg" alt="hi" width="205" height="300" /></div>
<p>『ヒコーキ野郎たち』<br /><span style="font-size: 10pt;">　稲垣足穂　新潮社　1969</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">　度々のエッセーで述べてきたように、われわれには、外部的にも内部的にも、「我が身をどうかされたい」という、訴え所のない本来的なマゾヒズムがある。この願望が裏返されて、威丈高になったのが即ちサディズムである。この意味のサディズムは、根源的マゾヒズムに対する起爆剤の役目を担当している。マゾヒズム=サディズムの縺れは普通セックスの営みによって代表されている。しかし、このヴァギナ=ペニス両感覚とは別に、エイナス感覚に拠る原始衝動が、そこに居座っている。これの最も純粋なパターンが、幼少年間の自己色情として読み取れる。あたかも成人世界におけるヴァギナ=ペニス両感覚のように、エイナス感覚は幼少年にとっては、取っておきの切札なのだ。(p147)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>ぼくの伯父さん</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Jan 2017 01:15:47 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[『ぼくの伯父さん』　長谷川四郎　青土社　昭和46　今、診療所の宿直室にいて、壁のむこうでカリカリカリと小動物が何かをかじっているような音をきいた。あるいは空耳だったかも知れない。それっきり聞こえなくなったが、五年前に船に &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e3%81%bc%e3%81%8f%e3%81%ae%e4%bc%af%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-2006" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2017/01/bh.jpg" alt="bh" width="197" height="300" /></div>
<p>『ぼくの伯父さん』<br /><span style="font-size: 10pt;">　長谷川四郎　青土社　昭和46</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">　今、診療所の宿直室にいて、壁のむこうでカリカリカリと小動物が何かをかじっているような音をきいた。あるいは空耳だったかも知れない。それっきり聞こえなくなったが、五年前に船に乗ったことを思い出した。</span></em><br /><em><span style="font-size: 8pt;">　ガリヴァー。大航海。 小人国。 フーイヌムの国。 これらの国について報告するためには、とらえられて宮廷の奥へつれていかれたり、馬の下男にされなくてはならなかった。</span></em><br /><em><span style="font-size: 8pt;">　私はただ物の表面をちょっとこすってきただけである。(p157)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>黄金の女達</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Sep 2016 04:20:52 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[ 『黄金の女達―私の作家遍歴Ⅰ』　小島信夫　潮出版社　1980  現在の私どもは、はっきり信仰の対象をもっている人はともかくとして、そうでない人も何かを信じている。ただハッキリしないし、その対象がマルクス・レーニン主義で &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e9%bb%84%e9%87%91%e3%81%ae%e5%a5%b3%e9%81%94">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-1757" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2016/09/wk1.jpg" alt="wk1" width="214" height="300" /></div>
<p> 『黄金の女達<span style="font-size: 10pt;">―私の作家遍歴Ⅰ</span>』<br /><span style="font-size: 10pt;">　小島信夫　潮出版社　1980</span><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">  現在の私どもは、はっきり信仰の対象をもっている人はともかくとして、そうでない人も何かを信じている。ただハッキリしないし、その対象がマルクス・レーニン主義であったり、民主主義であったり、体制であったり、その都度顔を出すくずれかかった伝統であったり、しきたりであったり、義理人情であったりする。美的感覚かもしれない。だが、一口でいえることは、私どもはどんなに信じたいと思っているかということである。いいかげんでいいと思っている人が不意に何かのきっかけで、本人も分らぬくらい何ごとかを信じていて、つきつけてくることがある。その内容が何であるか、私はここではわざというまい。早い話が、それぞれ考え方というものをもっていることが、何ごとかを信じているというそもそもの証拠みたいなものなのである。(p484)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>言葉の呪術</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Aug 2016 11:55:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[rakudado]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[こんな本あんな本]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[『言葉の呪術―全エッセイⅡ』　古井由吉　作品社　1980破局を避けるために、われわれに要求されているのは、じつは何とも索漠とした心掛け、たとえば自転車を倒れない範囲で出来るだけゆっくりとこげというようなことなのかもしれな &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ae%e5%91%aa%e8%a1%93">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-1700" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2016/08/kf.jpg" alt="kf" width="202" height="300" /></div>
<p>『言葉の呪術<span style="font-size: 10pt;">―全エッセイⅡ</span>』<br /><span style="font-size: 10pt;">　古井由吉　作品社　1980</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">破局を避けるために、われわれに要求されているのは、じつは何とも索漠とした心掛け、たとえば自転車を倒れない範囲で出来るだけゆっくりとこげというようなことなのかもしれない。停めれば倒れてしまい、倒れれば惨事が起こるから、ゆっくり走りながら、車輪をひとつ添えるなり何なりして、もっと安全な乗り物に変えていく。ハンドルさばきは全力疾走の時よりむずかしく、しかも動きがゆるまると、いままで動きによって紛れていた生死の問題がどっと襲いかかってくる。じつに荒涼とした精神状況であるが、精神の明るさとは案外そんなところから生じるのかもしれない。　それにひきかえ終末ムードの芯にひそんでいるのは、断崖まで自転車をいっそ全力で走らせたいという衝動、いわば滅亡へのパトス、に似た不安の戯れである。(p253-4)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>未完のヴァレリー</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Aug 2016 09:01:51 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[『未完のヴァレリー―草稿と解説』　ポール・ヴァレリー　田上竜也・森本淳生編訳　平凡社　2004 注意のような概念のなかには、多数の異なる概念(努力、強度、持続、停止、知的産物など)が見出されるが、この概念は科学的言語の単 &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e6%9c%aa%e5%ae%8c%e3%81%ae%e3%83%b4%e3%82%a1%e3%83%ac%e3%83%aa%e3%83%bc">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-1692" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2016/07/mp.jpg" alt="mp" width="205" height="300" /></div>
<p>『未完のヴァレリー<span style="font-size: 10pt;">―草稿と解説</span>』<br /><span style="font-size: 8pt;">　ポール・ヴァレリー　田上竜也・森本淳生編訳　平凡社　2004</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;"> 注意のような概念のなかには、多数の異なる概念(努力、強度、持続、停止、知的産物など)が見出されるが、この概念は科学的言語の<span style="text-decoration: underline;">単位</span>を、〈また既知のやり方で構築可能な概念をも〉絶対に構成できない。〈これは多くの表象を許容する単語なのであり、そうした表象のなかから文脈ないし意図に従って選択がなされるのである。〉 同様の種類の述語と同じく、〔注意という〕この述語は<span style="text-decoration: underline;">他のもの</span>に達したり、それを規定するためにはとても<span style="text-decoration: underline;">明晰</span>である。それ自体で調べられるとき、不確定なものになるのである。　このため、神経システムと筋肉システムを<span style="text-decoration: underline;">提示し</span>、「ここに注意がある」と言いたくなる。しかし、注意とは繊維でも、運動でも、‥‥‥妖精でもない。それは反省されていない言語に属する単語なのである。(p96)</span></em></p>]]></content:encoded>
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		<title>カフカの形象世界</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Apr 2016 08:11:03 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[『カフカの形象世界』　ヴィルヘルム・エムリヒ　喜多尾道冬編　審美社　1973模倣は模倣者を救うが、被模倣者は生にとどまる。なぜならば彼等は意識を持たないからである。模倣もまた彼等に意識を流しこむことはできない。そこにカフ &#8230; <a href="https://www.rakudado.jp/blog/%e3%82%ab%e3%83%95%e3%82%ab%e3%81%ae%e5%bd%a2%e8%b1%a1%e4%b8%96%e7%95%8c">続きを読む <span class="meta-nav">&#8594;</span></a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<div class="”left”"><img class="alignleft size-full wp-image-1432" src="https://www.rakudado.jp/blog/wp-content/uploads/2016/04/kw.jpg" alt="kw" width="206" height="300" /></div>
<p>『カフカの形象世界』<br /><span style="font-size: 10pt;">　ヴィルヘルム・エムリヒ　喜多尾道冬編　審美社　1973</span><br /><br /><br /><em><span style="font-size: 8pt;">模倣は模倣者を救うが、被模倣者は生にとどまる。なぜならば彼等は意識を持たないからである。模倣もまた彼等に意識を流しこむことはできない。そこにカフカは自分の作品のカタストローフェを形づくった。文学の模倣する形象言語は確かにそれ自身としては認識と知を所有している。がそれは模倣された現実そのもののうちに知を覚ますには無力なのだ。しかも模倣は同化として誤解される。模倣はわれわれ自身が今日、その中にいるアナーキーな野蛮状態の表現、あるいはむしろ肯定として読みとられてしまって、その野蛮状態の克服とみなされないのだ。それがすべての自作を焚き捨ててくれというカフカの遺言の意味であった。(p84)</span></em></p>]]></content:encoded>
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