
『教育としての遊び』
ヴァルター・ベンヤミン 丘澤静也訳 晶文社 1981
じっとしていない小さな「子ども」には、食べること、眠ること、服をきること、洗うことを、歌のリズムにあわせ、あそびのように接種しなくてはならない。あそびという姿で、習慣は人生に登場する。そして習慣のなかに、そう、このうえなくギクシャクした習慣のなかにすら、あそびはかけらとなって生きつづける。わたしたちの最初の幸福のかたち、最初の恐怖のかたちは、石のようにこわばり、見分けがつかなくなってしまう。だがそのかたちこそ習慣なのである。(p65)