崩壊

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『崩壊―フィッツジェラルド作品集3
 渥美昭夫・井上謙治編 荒地出版社 昭和56

「いいですか。あなたの頭が壊れたんじゃなくって、グランド・キャニオンにひびが入ったと思ってごらんなさい」と彼女は言った。「壊れたのはぼくですよ」とぼくは英雄気取りで言った。「いいですか。世界はあなたの目の中に存在している―あなたの観念があるだけよ。それを自分の好みにあわせて大きくも小さくも出来るのよ。それなのにあなたは自分をちっぽけな、つまらない個人にしようとしてる。もしもあたしが壊れるようなことがあったら、世界も一緒に壊してやるわ。いいですか。世界はあなたが理解するようにしか存在しないんだから、壊れたのはあなただと思わないほうがいいわ―壊れたのはグランド・キャニオンなのよ」「君はスピノザをうのみにしてるのさ」「スピノザのことなんか何も知らないわ。あたしが知っているのは―」すぐに彼女は自分自身の昔の苦痛の話をし始めた。聞いているとぼくのよりはもっと傷ましいもののようだった。いかにしてその苦痛にあい、克服し、撃退したかを話した。(p188-9)