ベンヤミン アドルノ往復書簡

ba

『ベンヤミン アドルノ往復書簡―1928-1940
 ヘンリー・ローニツ編 野村修訳 晶文社 1996

ぼくはぼくの論文で、肯定的なモメントをはっきりさせることに努めたが、きみは否定的なモメントについて、同じことをやっている。だからぼくは、ぼくの論文の弱点をなしていたところに、きみの論文の長所を見る。産業によって産出された心理的類型をきみが分析し、その産出されかたを描出しているところは、まったくみごとだ。事象のこの側面に、ぼくとしてももっと目を向けていたなら、ぼくの論文には歴史的な立体性が、もっと加わっていたろう。しだいにぼくに分かってきたことなのだが、トーキーが盛んになってきたのは、コントロールしにくくて政治的に危険な反応をひきだしやすい無声映画の革命的優位性を打ち破ることを使命とした、産業の行動であると見なされなくてはならない。トーキーの分析は、きみの見解とぼくの見解とを弁証法的な意味で媒介するような、現代芸術批判を可能にするのではないだろうか。論文の末尾でことのほかぼくの関心をそそったのは、進歩の概念に付された留保が、そこから読み取れることだった。きみはその留保を、さしあたりことのついでに、この用語の歴史を一瞥しながら根拠づけている。ぼくならばこの概念を根底から、その根源において捉えてみたいところだ。といって、このことの難しさは目に見えているけれども。(p310-1)